何故ビジョン(理念)を持たなければならないか

行動を起こすため

正しく行動を起こすため

苦労するのではなく努力するため

将来の夢や希望をビジョンにかえる

目標設定を力に変える

目標を明確に見るには見続ける力を必要とする

明確さは行動を起こしやすくする秘訣である

(何はともあれ目標となるものがないのでは話にならない…)

明確な夢や希望を持ち続けるとそれは生きて行くために欠かす事の出来ない

生きるための目標でありビジョンとなる

人生を謳歌するには

楽しく、美しく、優しく、強く、生きて行くためには人生の中心に目標を据え置く

そしてその目標を直視する必要がある

見続ける事

迷いや不安を追い払う

迷い、心配事、将来の漠然とした不安

それらが体内に鎮座した状態を長く続けると必ず何らかの氣を患う

病気の種がいつの間にかあなたの体内に棲みついて、いつでも発芽できる準備をしているようなものである

そのような邪気は一刻も早く追い払わねばならない

なぜならただ空しく時を重ね何の利益もないどころか一歩も前に進むことができない

時間を無駄にしてしまう

人生は波乱がつきもの…か

人生は波乱がつきもの、成功したかったら苦労は当たり前、などと思っている人は難しい人生を歩むだろう

物事を難しく、ややこしく複雑にしてしまったのはあなたの心の中にあるマイナス思考であって事柄そのものではない

人生は山あり谷あり大変なものという前提をもっていると前提を覆す思考になるのは難しく、行動と思考は一致しているので選択もやはり難しいものを選ぶであろう

人生は創造するもの

創造とは人だけに与えられた特権である森羅万象の理(ことわり)の中に生かされつつ自分を創造する事ができる

私はどこへ行きたいのか

何が欲しいのか

誰と何がしたいのか

何者になりたいのか否か

何を信じて生きていきたいのか否か

何を想像し作りたいのか

何を止めたいのか

これらをはっきりさせることから始まる

心にビジョンを強く抱く

人生の荒波に翻弄させられているとしたらそれはあなたの中にビジョンがないから

あなたが願望を求めた結果、今何かの苦しみや悲しみの中に沈んでいるとしたらそれは間違いなく願望実現の途中だと言える

しかし夢も願望も希望もそんなものは持ってもしかたないという思考にいて、今苦しんでいるならその苦しみはあなたの思考が引き寄せたのかもしれない

神が与えるーチャレンジ

願望を強く抱いたものだけに与えられるものそれはチャレンジである

チャレンジし続ける人生には失敗が無い

失敗と思われる事柄でもすべては成功の為にある一つの通過点だと楽観できるようになるであろう、また人生の荒波や苦労はその先にある喜びや幸せの礎だという事を知っているから怖いものは無いのである

信仰心とは

自分に中にすむ”我”又は”自己”など呼び方は何でもいいと思うがあなたの”こころ”を信じるという信仰

自分を信じ切るのである

自分が神、自分がその信者

神は日々言う事がコロコロ変わるようでは困る

信者は何を信じてよいのかわからなくなる ブレないためには心にビジョンを持ち続ける必要があり迷ったり、心配になったらいち早く神に聞く

「この道に間違いはないか?」と…

神は掲げたビジョンに照らし合わせ、迷った信者を正しい道に誘導させるべし

千日修行

仙人でなくとも私を含め凡人でも千日間、何か一つ事をやり続ければそれは”習慣”となる

しかも強く心にビジョンとして刻み意識をそこの向け時間とエネルギーと経費をかけた場合何かしらの奇跡が起きる事は間違いない

そこを信じてチャレンジしてみようたかが2年半ぐらいのもの”あっ”と言う間に過ぎていくに違いない

今ここに強烈なスポットライトを当てよ!

A・アドラーは今日をいかに最善を尽くすことができるかと説いているその積み重ねが明日を決めるからである、また今日も一刻一刻の積み重ねであるからして「今ここ」が大事だと

例えるならならピアニストのあなたが舞台に立っているとしよう

自分の頭の上に強烈なスポットライトが当てられていると想像していただきたい

あなたの前にいる何千人もの観衆はあなたの頭上にある強い光のせいであなたはだれも見えないのである、たとえ目の前にいても

あなたがやるべき事は目の前のピアノを弾く事だけ、そのことだけに集中すべきなのである

今ここに強烈なスポットライトを当てられるのはビジョンを持っているから!

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