信念と意図と確信
信念を育てる
何かを生み出せるという信念を持つことができても、そうしようという意志がなければ、創造のエネルギーは全く生まれない。なのでそれを現実に変える事は出来ない。逆に何かを起こす意志を持っていても「起こせる」と信じていなければ、現実にはならない。
それは信じる事から始まる。
初めに”信じる”事が肝心である。
普通人は
自分の行動が利益を生むと信じていない限り、行動しないことが多い。人生やさらに大きな世界の苦しみに対して、自分は無力だと思っている限りその事柄に対して改善のために行動することはほとんどない。創造に必要な信念や概念を持たない限り創造は起こりえないのだ。
確信に変える
信じた事を育てるには志向の習慣が必要である。
何故なら、信念を確信に変えるとは、”100%疑わない”という事だからである。
ある信念を徹底的に信じる事を”確信”という
働く理性
信じようとする感性に瞬時に働く理性。
そんな見えないものを信じられるのか…
理性はなるべくリスクを回避し安全なしかもその他大勢が納得する慣れ親しんだ”いつもの場所”へと導こうとする。
理性が納得する情報
見える数値化された情報ほど説得力がある。
この情報化社会において多くの物、事柄は数値化されわかりやすく納得しやすくなっている。
しかし人に関わる事柄の多くは数値化出来ない。
という事は見えていないのだ、どうやら見えるものが限定されているようだ。
魂が喜ぶ結論
見ていては観えない。
観るためには観ようとする意志が働かなければ観えないのだ。
見ているうちは価値基準は”外”にある。
観ようとしていればだんだんに価値が内側にある事に気づく。
社会や他人に納得され褒められる結論より魂が喜ぶ結論を出せるようになる。
大きい器ででっかく生きる
大いなるものに繋がるとは、無為自然であり”在る”という状態である。
たかだか100年ほどの人の人生を小さく刻んだように気を張り詰めて、神経質に、がんばって生きることはない。もっと森羅万象と繋がる意識を持ち大きな懐に抱かれているような愛を感じて生きるべきだ。人は自由で楽で、人生を楽しむ権利がある。
現在(いま)を生きる
人の人生があたかも一本の道を歩くような後ろと前があり”前進している”と勘違いしている人が多いようだ。
人の人生は一本の道ではない、それは常に変化した前なのか斜めなのか下なのかわからない道なき道、なので形のないものである。
あるのは現在(リアリティ)のみである。
信じる心(神)
自分の心には自己を支配する神がいる。その神をまず信じてみよう。きっとすべての神とコンタクトが取れるはずだから。
信念を育て確信を得る。それは神と繋がる事。そして不思議の連続、神憑りの日常があるはず。小さな奇跡の連続は成功の練習になるのだ。