瞑想を身に着け毎日の習慣にしませんか?

始めは只坐ってみる

只管打坐(しかんだざ)―ただひたすらに座禅する事

坐禅の感覚でいうとこういう事ですがお勧めしたいのはまず心を鎮めて坐るという事です。あわただしい日々の合間に5分でもいいので止まってみましょう。

禅でもない瞑想でもないいや禅であり瞑想である

坐禅は禅の世界観があります。流儀に沿って行うもので、修行の要素が強いでしょう。

瞑想はヨガやマインドフルネスといった精神統一や哲学が主流で特に流儀や型はありませんが、ブッダがインドで修行として瞑想をし悟りを開きそれが中国大陸へ渡り坐禅となったので。禅でもあり瞑想でもあります。

内観の素晴らしさを体感する

精神統一、鎮魂、内省する、気づき、何であれ毎回毎回何らかの感覚が体を巡り感情が湧き、脳内の伝達物質が変わり、自律神経系に影響を及ぼし内臓が変化し手足が麻痺したり勝手に動いたりするのです。

また自らの心身をただのエネルギーに変化させたり、物質に戻したりと変化の道を辿り安心立命へといざなわれます。ただ座り内観するだけで心が平穏になってしまう不思議さです。

この至福感を常に味わってもらいたい。

行住坐臥(ぎょうじゅうざが)

修行者は歩く・止まる・座る・寝るどんな状態であろうが精神統一し続けます。

一般人にとっては何か突発的な事が起きたり、緊張したりする場面においても平静な心持でいられる事ができるようになるため、またどのような状態であっても(病気、人間関係のもつれ、経済的困窮など)自分自身を良い方向へ導けるようになるために瞑想技術を身に着ける事が肝心と考えています。

瞑想道場ではどんな方でも(動けない、今痛みや苦しみがある、座ることができないなど)瞑想のやり方を伝授したいと思っています。

1日5分の瞑想を生活習慣に

瞑想を習慣にすることで様々な豊かさが手に入ります。

初めは5分から静かに座ってみましょう。5分間なら頭の中の雑念を追い払うだけの時間で終わってしまうかもしれません。それでも大丈夫。

ほとんどの人は何もしない時間というのは無く手足が動いてなくても、何かを考えながら生活しています。何もしていない何も考えていない時は寝ている場合がほとんどでしょう。

瞑想は意識して行うもの

座って何もしない何も考えない眠ってもいない状態になるには少々意識が必要です。

脳は考えるのを止めると無意識が過去を思い出させるよう働きかけるのが自然です。無になろうとすればするほど(自然に)雑念はどんどん頭の中に増え続けます。

そうなってきたら「私は正常だ」と思っていいでしょう。瞑想に普段から慣れ親しんでいないのに一回で「何か悟りが開けたようだ」「無になれた」という人は多分…俳優さんです。

自己を習う

瞑想は内観です。自分の中に滑り込むように静寂になり鎮魂して中を観察します。暗い深海のようだったりブラックホールのように感じたり、塊のようでもあり、水や火のようでもある自己。そこをただただ観察するのです。それが自己を習う事です。

雑念は正常な脳の反応

雑念は目を閉じると無意識から湧き上がってくるものです。

それは自然な脳の機能です心配いりません。外側がシャットダウンされると自然と今まで経験した過去が湧き上がってきます。DMN(デフォルトモードネットワーク)が活性されるのです。

目を閉じた瞬間に、過去の記憶、明日の予定、不安、あるいは「今、雑念が湧いているな」という自己反省が次々と浮かび上がってくるのは、脳の構造上、完全に正常な反応です。

DMN(デフォルトモードネットワーク)とは―何もしないでぼんやりしている時や、過去の記憶を思い出したり、未来の心配をしたり、自己同一性(「私はこういう人間だ」というセルフイメージ)を考えている時に活発になる脳のネットワーク

 

安心立命の世界

瞑想が深まるにつれて、脳波はリラックスしたアルファ波、さらに深い潜在意識の領域であるシータ波へと移行します。この脳波の移行に伴い、DMNの過剰な活動(ぐるぐる回る思考や不安)が抑えられ、脳の分析的なフィルターがオフになります。
瞑想で得られるものは無か空かそれは各々が感じればいいことです。誰しもがたどり着く場所それは安心立命の世界です。

 

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