目に見えないものへ
知り合いに氣功をやっていると言うと”あやしいなあ”と言われました 又”私は目に見えないものは信じないから”とも…
そうか目に見えるものしか信じないか…なるほどそういう人は多いでしょうね
いえいえきっと「目に見えないもの」をまじまじと考えたことがないだけです
例えば身体の中を”神経”というものが通っていますが見えません、レントゲンに写らないのです
でもほとんどの人が”神経”のイメージを持っています 引力も見たことがない でも知っている
観る
人の心が観える(わかる)時があります 目は口程に物を言う時、口と腹が違う時 考えが見えるのです見えないはずの気持ちが見えたりします
見え隠れしているのは”氣”なのです
空間を分ける
※「フランスの社会学者E・デュルケムとM・モースによれば、人類があみだした最初の分類は、空間の方位による分類であった」
とあります 見えない空間を分けるなんてすごい発想ですね
空間に西・東・南・北と名付けて様々な事柄に適応させてきました 人が生きるために沸いた智慧なんでしょうか…
氣は読むもの、感じるもの
見えない氣は見ようとせず感じていきたい 感じる心が想像力を発揮させ見えないものを見させてくれるのです
在ると信じる
見えないものを観ようとする想像力、洞察力は多分潜在能力として誰しもが持っているはずなんです
氣という見えないものを”在る”と信じるにはパワーが必要です 裏付けや知識、情報は存在しません
自分の底知れないパワーもきっと見た事がないはず
見えないものへの想像は果てしなく続きます
※日本の歴史/朝日新聞社より